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Feb17

ミチハル的ライディング生活の手引き vol.29

乗らないという選択について・・・21世紀のモータリゼーションにおける社会性と、その実行&実践とは

  
昨年の夏以降、ガソリン軽油の価格が上がり続けている。そのわけはみなさんもよくご存知の原油の高騰。で、これに呼応してということなのか、最近よく出くわすのが地球温暖化とそれに関連したバイオ燃料や水素電池といった次世代エネルギーのおはなし。
  
まあ、そのこと自体はとてもよいことだし、実はぼくもとても興味があったりもするのだが、反面、この手のはなしになるとまるでだれもがにわか地球科学者かにわかエコロジストにでもなったようなしたり顔の口調がいささかぼくには気持ちが悪いといえば気持ちが悪い。しかも、ともすればいずれも大論空論すぎて現実性実効性に乏しいうえ、さらにこれはあくまでもたとえ話として聞いてもらいたいのだが、そんなお話をしているひとが、一方では一日中エアコンの効いた部屋にいて、高級ブランドにくびったけというような浪費家だったりした日には、せっかくのお話もなんとも興ざめというしかないだろう。
  
加えてこのところぼくが標榜させてもいただいている「生活者(それも21世紀的な)」としての立場からいえば、こうしたこと(つまり、モータリゼーションにおけるエコロジーとかリサイクルとか省資源とかというようなこと。大きくいえば社会性ということにもなるんだろうか)はだれもがそれぞれの居場所で今すぐにでも実行実践できるものでないと意味がないともいえるってことでは、ぼくとしてはバイオ燃料も水素電池もそれはそれでよいとして(将来に期待して)、しかし同時に生活者的観点からバイクやクルマに乗るものがすぐにもできることという点で、以前にも話したことがある「乗らない」という選択が、いよいよ重要になってくるのではないかと思っている。
  
「乗らない」といっても、それは「まったく乗らない=バイクやクルマをおりる」ということでなく「むやみに乗らない」「やたらに乗らない」ということだ。つまり言い換えるなら、各自がこれまでのバイクやクルマとの関わりのなかで、いかにもっと合理的効率的=クレバーに(かしこく)乗るかということに他ならない。そしてそれは「乗り方」「乗る場所」「乗るマシン」のすべてについていえるとも思うのだが、この続きに触れると話がとても長くなりそうなので、詳しいことはいずれまた別の機会にでもということにしよう。
  
 ただし、ひとつだけとってもおせっかいなことをいわせてもらうなら、結果乗らないことで新しくできるだろう時間は、ぜひとも本を読んだり映画をみたり音楽をきいたりして過ごすことをおすすめしたいってこと。この世界には「乗るべきマシン」というものが存在するのと同じように「読むべき本」「みるべき映画」「聞くべき音楽」というものが少なからずある。もちろん、そのすべてをぼくが知っているというわけでは毛頭ない。というより、ぼくなどはほとんど知らないに等しいのだが、一方先人が残したそうした「べきもの=いわゆる名作」を知らないまま、この先、齢だけを重ねていくのはあまりに余生がもったいない、とこのところ強く思うことが多くなった(歳だね、こりゃ・・・笑)。
  
ぼくたちはどんなにがんばってみても未来をみることはできないが、しかし過去の遺産になら今すぐにでも出会うことができる。そして、これははじめるに遅すぎるということがない。要はやるかやらないか。これもまた「実行実践」ということにもなるんだろうか・・・。


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乗らないという選択=むやみに乗らないやたらに乗らないというところで、うっかりしていると一方的に悪者にされ公衆の場で糾弾の対象にさえされてしまうほどに、最近はバイクでフィールドに入っていくときには慎重に慎重を重ねて行動することが求められてもいるってことを如実に教えてくれるのが、一昨年の秋ににBTMのサイトや周辺のプログでも話題になっていた大阪毎日放送(MBS)制作の憤懣本舗"里山を破壊するオフロードバイク"の一件だろう。すでに関連の掲示板などには多くのひとがさまざまな意見を寄せてもいたから、この件そのものについてはあえて言及しないが、一般論として少し付け加えるなら、インフラが整備され社会が成熟した先進国になればなるほど衣食住というものは自ずと洗練されたものになっていき、そこでの「生活権」というものが重要視されるとともに、生活のあらゆる局面で使われる道具(バイクやクルマなんてのもそうだ)や、その環境そのもの(家とか職場とか工場とか)にも環境性能や環境施策というものが何より欠かせないものにもなってきている(騒音排ガス対策とかISOなんかがその好例だろう)。で、そんななか、今やオフロードバイクを走らせるということが、ややもすれば、その生活権をおびやかし、当事者にとっては大きなストレスの原因となり、ときにそれが予期せぬ軋轢を生むことさえあるようなインパクトになりうる時代情勢に、好む好まざるに関わらずなってきているってことだ。憤懣本舗の一件も、ぼくにはオフロードバイクがトレールを破壊しているということよりもむしろ、地元住民の生活環境のなかにそのバイクが、けたたましい音をたてて入り込んでくる(しかもよそものによって)ことへのストレスが、こうした怒りを買ってしまった原因じゃないかと思ったりもする。もともと国土が狭いうえに、アメリカのオープンエリアのような、フィールドにおいてオフロードビークルが走ってもよい場所いけない場所の明確な線引きがない日本では、「山」といってもしょせんバイクが走れるようなところは、ほとんどが地元のみなさんの生活圏とオーバーラップしているということでは、同じような問題はずっと昔からあったといえばあったし、こうしたことにはじめから意識的な乗り手は、今さらあれこれいわれるまでもなく、とっくに自立的かつ自律的な行動をとってきてもいる。もとより山=山岳ルートをオフロードバイクで走るという行為そのものが悪いわけではなく(オフロードモーターサイクリングというスポーツに罪はなく)、またオフロードバイクそのものが悪いわけでもまったくない(メーカーに責任があるわけでもない)。が、それが道具である以上、使い方使われ方には、それを使うニンゲンが、そのときどきの状況にあわせて配慮していく必要がある。モータリゼーションにおける社会性とはつまり、そういうことでもあるんだろう。その意味では、山を走ることがいけなくてコースならいいとか、トレール車はだめでレーサーならいいとかという論議は一面当たってもいるようだが、実はけっこう的外れだったりもして、コースにいてもレーサーに乗っていても、バイクが周辺環境に与えるインパクトとそれによるストレスについて、本当のところ使い手側は考えなくてはならないし、むろんそれを一般公道が前提となるフィールドへと広げてくときには、なおさらのことなのだ。なんだかとっても面倒なことのように思えるが、バイクに乗り走ることで、その楽しさや喜びを得たいという、ある種の権利を行使する以上、それと引き換えに今いったようなところでの配慮に気をつけることは、今や使い手としての義務にまでなってきているのかもしれないし、それができないのならば、やはり乗るべきではないだろう・・・というのが、ぼくの考えだ。と同時に、ぼくを含めたメディア関係者や、あるいは各地の競技主催団体やコース管理者といったシーンに影響力のあるところに位置するものは、このオフロードバイクが環境に与えるインパクトとそのストレスについて、それぞれの持ち場で、みんなの指針となるような新しいガイドラインをもっと明確に打ち出していくべきだろう。また今現在、仲間うちなどで好んで山を走ったり、コマ図ツーリングなどを行っているひとたちは、明日は我が身、いつも世間に見られているということを自覚して、フィールドではくれぐれも慎重に行動することを忘れないことだ。(まあ、できることなら、そうした20世紀的遊びとは訣別縮小する方向のなかで、新たな遊びや楽しみ方をみんなで作り出していくことが、シーンの次なる発展ということを考えても必要なことなのだが。というのも実際、このままでは日本のオフロードバイクとそのシーンはジリ貧間違いなしだもんね・・・)

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